マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画

渋谷uplinkで「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」を上映後の監督と映画仲間によるトーク付きで。
このトークが凄く良くてしっかり映画を補完されていました。


何がマイノリティって、あらゆるものがマイノリティ。
この映画には何層にも仕組まれてマイノリティが出てくる。
分かりやすく、最初は精神障害者、次に身体障害者、旅行中の外国人だって日本ではマイノリティだし、逆もしかりでインドやアメリカに飛ぶ。
そして、震災によって日本人は被曝した可能性を持つ人々として世界から見ればマイノリティになってしまった。日本総マイノリティ。

タイトルにもあるセックスに関しては取り上げるつもりは無かったけれど、自然と付随して来たから。と監督が言っていた。
身体障害者の方が精力的で健常者がインポテンツ。そういう対比も出てくる。
映画にも出演している精神障害を持つ中嶋弟さんがトークで語った事が印象的だった。
「何でも人間が線引きしたことでしょ。IQ70以下が知的障害とか血糖値いくつで糖尿病とか。」
私たちは一体何者なんや。と、自分の感覚を疑わずにいられない。
劇中、障害者にみんな清廉潔白を求める。とある。
数値で線引きして、彼らを弱い者として、何か分からない存在として、腫れ物を触るように扱う。実際は犯罪者が障害者である率は大変に極めて少ないのに、昨今起こる一つのケースを挙げては得体の知れないものとして警戒する。
目に見えたモノを私たちは真実だと思い過ぎる。
本当の事なんてそこには余り無いかもしれない。だから、何が虚栄で何が真実か考えた方がいい。
序盤に出てきたドキュメンタリー映画監督の言葉、不確かだけど以下のような事。

メディアって歴史が短いでしょ。だからどう処理していいか理解が追いついていないんだよ。
人って見たものを結局信じるでしょ。
メディアなんて信じるな。

そういう問題提起がずっとずっと続く映画。
けれど、ラストが良いんだ。
幸福感に満ちて全ての疑問や不安がその時だけは許容される気にさせてくれる。
このラストじゃなきゃ、私は不満一杯に映画館を出たと思う。
トークの中で、何であのラストにしの?って聞かれて
なんか良いじゃないですか。
結局ああいう普通の事が幸せなんですよ。ってそこから高橋ジョージでロードネタに行ってたけど、ホンマやね。って納得してしまうしかない。

因みにトークで秀逸だったのが、何でいきなりインド行ったの?
に対して監督が
若者は迷ったらインド行くでしょ。そういう皮肉。って、凄く良いなぁ監督。

この映画、意図的とは監督は言わないけれど仕掛けがあって、観ていると気付いたり、疑ったり、何も気付かなかったりするかもしれない。
自分で見極めろ、力をつけろ、疑え。そう喚起しているんだと思う。
答えは一つじゃない、私たちは多様の中にあって、その一つに過ぎず、隣の人もそれに過ぎない。そういう世界だけど問い続けずにいられない。
そうして行くうちに、もっと多くを知る。それが何だと言われても求めずにいられない。だから、問題提起はずっと続く。

2015年2月18日鑑賞
http://www.uplink.co.jp/movie/2014/34658