FOUJITA

小栗康平監督「Foujita」初日初回を鑑賞。藤田嗣治の映画と言うより、小栗康平監督の映画。監督はフランスに帰化し日本に帰らなかった藤田に残酷に日本を突き付けた。藤田への入れ込みや愛はなく、藤田はどの場面にも馴染みきれず翻弄され監督が気にいる美しい背景に配置された。
つまらない映画でしたが、大変美しい映像でした。監督が描きたかった世界は描き尽くされたんじゃないでしょうか。

姿形こそ藤田らしい主演俳優オダギリジョー氏でしたが、台詞回しと声が馴染まない。江戸っ子ダミ声で歌うような調子づいた藤田嗣治の肉声には遠く軽い。言われるままに演じた、藤田の言葉を借りただけのような演技でした。けれど、細く逞しく品のある物静かな佇まいは、本当に思い描いた藤田嗣治でした。歳をとってからの姿の方がずっと藤田にみえた。
中谷美紀さん上手いんだけど、君代夫人を女狐みたいな描き方していたので違和感がありました。中谷さんが嵌っているだけにオダギリさんが悪目立ちしてしまっていました。オダギリさんが下手とかじゃなくて、姿形以外は合わなかった。
むしろ唯一、見入ったのは加瀬亮。引き込まれました。加瀬亮が藤田を演じたなら、どうだったのかと思いました。

クレジットが出たからって席を立ってはいけない映画です。最期に画面には藤田の命を懸けた作品が映されます。
それを見て初めて、この映画で描かれた彼の終着点を見られ感動に結ばれます。
この絵を描かなければ、藤田嗣治はもっと長く生きたはずだ。とも言われています。生まれてきて大義を果たした、この巨匠への敬意はあらゆる価値観を超えて普遍であればいいと思います。

とてもとても印象的だった場面は物語序盤。パリを訪れた日本人若手画家一行を藤田が案内し、カフェでくつろぐ中で一人の青年画家が高村光太郎の「雨のカテドラル」が良いんだ。と、その詩を朗読するけれど、藤田の視線はカフェにいる美女二人に釘付けで、聞いちゃいない。
カテドラルに焦がれて謳いあげた所で何も果たせる訳がない。
そういう内輪的賞賛は何も生まない。